宗教家としての品性がない創価学会

創価学会と言えば、聖教新聞の、敵対者に向けた下品な罵詈雑言記事(近頃は以前よりも少なくなってはいるが)や、活動家への幹部の横暴な態度や、主に活動家とされる学会員のガラの悪さなどが有名であるが、とにかく創価学会は宗教家としての品格・品性がない、下品下劣な宗教である。

創価学会は常々、「庶民の宗教」を売り物にしてきたが、庶民の宗教であれば下品下劣であってよいという訳はない。

「世界最高の宗教の王者」を自認しているのなら、なおさら宗教家としての品格・品性が求められるのだ。

ところが創価学会は、その聖教新聞の大幹部達による紙上座談会では、

会長や副会長、全国青年部長や全国男子部長など創価学会の中枢にいる連中が

敵対者や脱会したかつての幹部に対して口を極めて汚い罵詈雑言を吐いているのである。

とても宗教団体の大幹部とは思えない下品下劣な姿を自分達の機関紙に晒しているのである。

創価学会は上品な語り方を「偽善だ」などと批判し、

感情を露わにストレートに出す事が真っ正直な生き方なのだというような事を言っていたが、少なくとも「世界最高に正しい宗教」だと自慢しているのなら、

たとえ偽善に見えようとも、感情を抑え言葉を選んで語るべきだろう。

それが宗教家としてのあるべき姿というものだ。

感情に任せて言いたい放題言う事が正しいのだと主張するのは

もはや宗教家を名乗る資格もないし、

その宗教には自分を抑制する力もないという事になる。

創価学会の品性のなさ1つを見ても、

創価学会が正しい宗教ではないという事が判る事だろう。