カルトの定番-個人崇拝

創価学会擁護派は「創価学会は断じてカルトではない」と強調しているのだが、

創価学会にはカルトの特徴がいくつも顕われている。

カルトの特徴と言えば、まず第一にその教団指導者の個人崇拝が挙げられる。

カルトの定義を見てみると、「特定の人物や事物への礼賛,熱狂的な崇拝,さらにそういう熱狂者の集団」と書かれており、創価学会の池田大作名誉会長への個人崇拝がこれに当てはまる。

創価学会では宗祖の日蓮よりも池田名誉会長が格上のように扱われ、

「師弟不二」という言葉を強調する事によって名誉会長との師弟関係を重視させて従わせようとしている。

その1つの手法として、名誉会長の著作とされている小説『人間革命』『新・人間革命』では、

名誉会長自身が英雄として美化され、あるいは人間離れした超人か仏の境涯であるかのように神格化されて描かれており、

あくまでも創作でしかないのだが、

学会員に対しては「創価学会の真実の歴史」として教え込む事によって、

名誉会長のカリスマ性を更に高めている。

このようにカルトというのは、教義思想よりも、指導者のカリスマ性によって信者を心酔させて従わせようとするものであるが、それは教義思想の内容が不合理である為、教義思想だけでは論理的に信者を納得させる事が難しいからである。

創価学会は「世界一の生命哲学」だとか「世界最高の宗教界の王者」などと自画自賛しているのだが、

実際は仏教の歴史的事実を無視した作り話を基にしたり、

仏教思想と無関係な公明党支援の政治活動を「仏道修行」などと指導したり、

「財務」などの集金活動で多額の寄付金集めに執着したりと、

道理に外れた内容の多い自称仏教団体に過ぎず、

論理的に考えるならば信じるに足らない団体でしかない為、

論理よりも池田名誉会長というカリスマに心酔させて信者を従わせようとしているのであり、

その為の個人崇拝なのである。

しかしそのような創価学会には違和感や不信感を覚える信者も多く、

脱会者や脱会まで行かなくても活動や組織から離れる「非活者」が増え続けている。

いくら「創価学会はカルトではない」と反論していても、

創価学会の実態がカルトの特徴を顕わしているのだから、

もはや言い訳は通じない。

カルトを信じてついて行っても決して幸福にはなれないのだから、

今信じている信者であっても目が覚めざるを得ない状況になる事だろう。