分相応に供養・寄付をする事が中道

以前にも書いたが、仏教の基本理念は中道であり、

程良くバランスを保って生きる事が最も良い生き方だと説いている。

その中道の観点から考えれば、供養・布施・寄付についてはどうするべきか。

当然、中道の立場から考えれば、

分相応の金額を寄付する事がバランスの取れた中道としての寄付になるだろう。

分相応とは、各人の能力・地位に合った最も相応しい状態の事であり、

供養・布施や寄付をするのも自分の能力・地位・財力に合った金額を寄付すれば良いのである。

例えばマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏は莫大な額の寄付を行なっているそうだが、

それでもそれを遥かに上回る莫大な金額の不労所得があるので、

莫大な額の寄付をしていても無理をする事もなくできているのであり、

ゲイツ氏にとってはそれが分相応な額の寄付になる訳である。

それに対して生活に余裕のない低所得者がゲイツ氏のような金額を寄付しようとしたら、たちまちにして生活は破綻してしまうだろう。

だからそれは分不相応でしかないのである。

仏教では、その人が出来る範囲での、決して無理をする事のない分相応の供養や布施をするようにと教えている。

というのも、分不相応の無理な金額の寄付をすると、

その後で惜しむ気持ちや後悔の念が出てきてしまい、

せっかくの供養や寄付も意味がなくなってしまうからだ。

だから後悔しなくてもよい無理のない分相応な額の供養や寄付をすれば良いのである。

それに対して、創価学会では「財務」という創価学会への寄付集めの際、

幹部達が「出し惜しみせず、出せるだけの精一杯の金額を寄付すれば何倍にもなって返ってくる」などと指導していて、

会員に無理してでも高額寄付をするよう強要している。

しかも、一律に一口1万円以上という最低金額まで決めており、

その上、財務の時期には座談会などで、

保険を解約してその解約返戻金を財務に寄付したら大功徳を得られたなどという体験談が美談として語られるなど、

無理をしてでも財務に寄付する事を同調圧力として押し付けている。

しかしこんなものは仏教の説く中道から逸脱した強欲な金集めでしかない。

貪欲な金集めをする創価学会側は我欲に執着して餓鬼界という低俗な状態に堕ち、

無理して高額寄付する学会員も分不相応な高額寄付をする事により生活に困窮したり破綻したりして苦の状態に陥ってしまうだけなのだ。

また、功徳善根を積むという観点から考えれば、歳末助け合いの募金とか社会福祉協議会の募金とか赤い羽根共同募金とか、本当に必要とされている所に寄付してこそ功徳善根を積む事ができるのであるし、本当に供養するに値する所に供養してこそ功徳善根を積む事ができるのである。

周知のように、創価学会は会員から集めている莫大な寄付金や事業の収益で本部上層部はかつて高額納税者に名を連ねていたほどの資産家揃いであり、宗教法人としての創価学会にも有り余るほどの資産があるのだ。

そんな大金持ちの団体に寄付しても功徳善根など積む事ができないのは当然だ。

しかも悪辣な手法で信者を脅してタダでこき使った上に強欲に金集めする団体が果たして供養するに値するだろうか。少し考えれば判る事だ。

何事も中道から外れている創価学会は寄付に関しても中道から外れて我欲に偏っているのであり、無理な寄付をする学会員も更に苦しみに堕ちてしまのである。

これはもはや仏教や宗教ではなく、宗教ビジネスや商売でしかないのだ。