創価学会は名誉欲の塊

聖教新聞の記事には連日のように

池田名誉会長がどこそこの国の大学から名誉教授を授与されたとか、

名誉博士号を与えられたとか、どこかの国からは平和賞を贈られたとか、

そんな事ばかり自慢たらしく書きまくっているが、

このような世間的名声、世間的名誉を欲しがり、

それを自慢げに誇っている池田名誉会長は

もはや宗教家とは言えない俗物中の俗物であり、

創価学会もまた宗教ではなく俗物団体でしかないのだ。

それは名誉会長とかつて対談したトインビー博士の孫娘であるポーリー氏が、

名誉会長と対談後、イギリスのガーディアン誌に、

池田名誉会長の印象について、

「頭の先から靴の爪先まで世俗的な人物に見えた。

彼を宗教家と思う者は殆どいないだろう」

とインタビューに答えていた事で明らかだ。

それら授与されている名誉称号は金で買ったという話があるが、

金で買おうが買うまいが、いずれにしろ、

そんな世俗的名誉をもらったからといって

自分達の機関紙に自慢げに書きまくる事自体が宗教家として、

そして宗教団体として恥ずべき事だ。

名誉会長が世界の著名人と会って

中身のないお世辞だけの対談をしてるのも、

結局は何らかの名誉称号をもらうのが目的なのであろう。

創価学会としてはノーベル平和賞を狙っているのだろうが、

ただのポーズだけではノーベル平和賞はもらえない。

もし名誉会長がノーベル平和賞を授与されるとしたら、

その時がノーベル平和賞の権威が地に落ちる時になるだろう。

いずれにしろ、今まで授与されている数多くの名誉称号は

ゴミのようなものばかりであり、

肝心のノーベル平和賞は勿論、

宗教界のノーベル平和賞と言われているテンプルトン賞ももらってない。

テンプルトン賞はライバルだった立正佼成会の庭野日敬会長が受賞していて、

他の宗教家から差をつけられている有り様だ。

著名人と会ってお世辞を言うだけでノーベル平和賞をもらえると思っているなら、考えが甘すぎるというものだ。