『文証・理証・現証』全て崩壊の創価学会

仏教特に日蓮系宗派で、あらゆる宗教の高低浅深や優劣を定める判断基準の一つとして用いているものに「三証」というものがある。

三証とは文証・理証・現証の3つの証明の事で、

この3つが揃ってはじめてその真理が完全なものであると証明されるとしている。

文証とは、その思想が仏説である仏教経典に基づいているもの。

理証とは、その理論が道理に適っていて万人を納得させられるもの。たとえ文証があっても道理に適っていなければ正しいという証明にはならない。

現証とは、たとえ文証、理証があってもそれが現実に証明されなければ意味がなく、現実の生活上において功徳が実証されるものが正しい証明となる。

というもので、創価学会もこの三証を使って、創価学会こそ三証全てが揃っている最も正しい宗教だと自画自賛していたものだが、

しかし、これまでこのブログにも書いてきたように、

創価学会は実際には文証・理証・現証全てに渡って崩壊しているのである。

まず文証としている法華経は近代仏教学の研究によって、実際には仏(釈尊)とは無関係で、釈尊滅後500年以後の後世に作られたもので仏説ではないという事が判っている。法華経は仏説ではないのだから、その法華経を依経にしている創価学会の文証は崩壊しているのである。

次に理証も、法華経を基にして日蓮が造立したという曼陀羅本尊に向かって、同じく法華経を基にした題目(南無妙法蓮華経)を唱える事が末法の正しい行法だと主張しているが、題目にしても本尊にしても仏説ではない法華経を基にしているのだから、それが正しいという道理にはならない。

釈尊とは無関係の後世の創作経典を基にした本尊に呪文のような言葉を唱えて功徳が現われるなどというのは道理に合わないし筋が通らない。

故に創価学会は理証も崩壊しているのである。

そして現証だが、創価学会はこれまで「創価学会は数えきれないほどの功徳の体験者で溢れている」とか「創価学会の本尊に祈ればどんな不可能な事も可能になる」などと功徳の実証を大々的に宣伝してきたが、実際には功徳の実証を示している学会員よりも、家庭崩壊、生活崩壊など多くの苦悩の体験者で溢れており、創価学会は功徳どころか「罰の体験者が溢れている」宗教だと言えるのだ。

このように功徳の実証が現われない創価学会は現証も崩壊していると言えるのだ。

以上、創価学会は三証全てが崩壊しており、逆に正しくない宗教である事がこれで証明されたのである。