頼りにならない「信心の確信」

学会員以外の部外者が病気になったり怪我をしたり、生活が悪くなると、

「それは創価学会で信心しないからだ」と学会員は短絡的な批判をし、

創価学会への入会を押しつけてくるのだが、

そう言ってる学会員も病気がちだったり事故を起こしたり事故に巻き込まれたり、家庭内の問題や生活に困って借金トラブルを抱えていたりと、

様々な問題、トラブルを抱えている有り様だ。

それについて創価学会は「たとえ人生の問題や諸難に遭遇しても、この信心をしていれば悠々と乗り越えていける」などとも言っているのだが、

実際は、問題やトラブルに直面すると慌てふためいて人を頼ってばかりで、

悠々と難を乗り越えるどころではない学会員の方が多いくらいだ。

口先では「信心の確信」とやらで、どんな問題に遭遇しても不動心でびくともしないかのような自信満々ぶりをアピールしていても、

実際に問題に遭遇するとそんな「信心の確信」などはどこへやら、

人を頼って右往左往しているという、その程度のものなのだ。

地区や支部の役職者に多い金銭トラブルも、そんな学会員の姿が如実に現われたものだと言える。

結局、口先では本尊を信じ切っているかのように発言していても、

本尊を信じ切れないから人を頼ってしまうのだ。

それは当然と言えば当然の話で、創価学会の本尊というのは人間が造った単なる紙切れに過ぎないのだから、

実際に仏の生命が宿っているなどという超常現象など起こり得る訳もないのだ。

だからそんな紙切れの本尊を信じ切ったとしても、多くの場合は奇跡的な功徳の実証など起きることもなく、

結局学会員は本尊ではなく人を頼らなければならないというオチになってしまうのだ。

学会員の役職者に特に金銭トラブルが多いというのがその現われなのである。