創価学会に対する批判として「創価学会は会員を洗脳している」とか「マインドコントロールしている」といった声が多く上がっている。
洗脳やマインドコントロールというのは、カルトなどが信者らを意のままに操り行動させる為の心理状態を制御・調整する技術の事をいうのだそうだ。
洗脳は暴力や薬物を使うなど強制的手法を用いた方法の事で、
マインドコントロールは暴力や薬物などを殆ど用いない方法での心理状態の制御・調整の技術方法の事をいうそうだ。
創価学会の場合、元学会員や現在学会員であっても非活動家の人たちがかつて創価学会の犠牲になったという事について、学会から洗脳されていたとかマインドコントロールされていたといった批判をしている事が多い。
それに対して創価学会を擁護している側からは「創価学会には洗脳とかマインドコントロールなどというものは存在しない」といった反論、逆批判がなされている。
確かに厳密な意味で言えば、まず洗脳というのは暴力や薬物などを使って強制的に意のままに操る場合の事であり、創価学会ではそういう事は見られないから、洗脳は存在しないと言えるだろう。
一方のマインドコントロールについては、幹部などによる同調圧力によって言われたままに動かざるを得ない心境にさせられたりするのが創価学会で多く見られる事であり、その同調圧力をマインドコントロールと言えなくもない。
自分も以前は創価学会批判でマインドコントロールという言葉を使った事があるが、しかし、厳密な意味からすればマインドコントロールという言葉も創価学会批判には使わない方がいいだろうと、近頃はそう思っている。
なぜなら、マインドコントロールという定義はまだはっきり定着している訳ではなく、学者の中には懐疑派も存在しているという事もあるし、
また、マインドコントロールという言葉をあやふやな定義のまま創価学会批判に使っていると、創価学会やその擁護派が「マインドコントロールは科学的に認められていないものだ」などと言い出して、あやふやな定義への揚げ足取りをして逆批判してくるからである。
それよりも、何も洗脳だとかマインドコントロールだとか難しい言葉を使わなくても、創価学会批判はもっと簡単な言葉でできるのだ。
それは、創価学会は人間関係を利用、あるいは悪用して信者を意のままに操っているという事なのだ。
創価学会が信者に強要している非常識な活動にしても金集めにしても聖教新聞の多部数購読にしても、
「嫌なら断ればいいんだ」と創価学会擁護派や創価学会をよく知らない部外者などは言うのだが、親しい相手から言われると断りにくいとか、
やりたくないが周りからの同調圧力でやらざるを得なくなったとか、
そういう人間関係の心理というものを利用しているのが創価学会なのである。
勿論、これは創価学会に限った事ではなく、他のカルトと呼ばれている宗教団体にしてもそうだし、更には宗教団体に限らず、職場でもサークルでも、様々な団体やグループで起こり得る事なのである。
創価学会は人間関係における心理をうまく利用、あるいは悪用して、
信者が断れなくなるようにうまく事を運んでいるという事なのだ。
故に洗脳だとかマインドコントロールなどという難しい言葉など使わなくてもいいのである。
そして、この人間関係の心理をうまく利用したものとしては悪質商法が有名であるが、創価学会は正に悪質商法の宗教版と言ってよい団体なのだから、
創価学会批判をするのに洗脳やマインドコントロールという言葉を使う必要はないのだ。