密教化している日蓮の思想

近頃はどうか知らないが、昔の創価学会の教学書には、

日本天台宗の第三代座主であった円仁(慈覚大師)が密教を持ち込んで天台宗を密教化した張本人だと批判していたものだった。

創価学会が天台宗の中でも特に円仁を批判するのは宗祖の日蓮が激しく円仁批判をしていたからで、日蓮にとって天台宗は自分が出家した宗派であると同時に、自分が最高に正しい経典だと位置づけた法華経を根本経典に定めていた宗派でもあったのが、第三代座主の円仁が本格的に密教化して謗法の宗派になったというのが許せなかったからなのだ。

日蓮は円仁以前までの天台宗は法華経を基にした正しい宗派であり、像法時代の正法であったと考えていたのだ。

だから、創価学会でも中国天台宗の智顗(天台大師)と日本天台宗の最澄(伝教大師)を共に像法時代の正しい人師・論師と定めているのだ。

そのように創価学会では日蓮同様、天台宗は第三代座主の円仁が密教を持ち込んで密教化したと批判しているのだが、

しかし実際は元々、天台宗の開祖である最澄自身が密教を導入したかったのだ。

最澄は法華経至上主義者ではなく、法華経を中心とする戒律や禅、念仏、そして密教を融合させた総合仏教としての日本独特の天台宗の教学確立を目指していたのである。

それは、唐に渡って密教を日本に持ち帰って真言宗を開いていた空海(弘法大師)に弟子入りして本格的に密教を学ぼうとした事でも明らかだ(ちなみに、最澄も空海と同じく第18次遣唐使として唐に渡っている。この時、空海は第1船、最澄は第2船にそれぞれ乗船している。最澄も密教を持ち帰っているが、正当の密教ではない傍系の「雑密」と呼ばれるものしか持ち帰ってなかったので、本格的な密教を学ぶ為に空海に弟子入りしたのだった)。

しかし、途中で空海の拒絶にあって交流が絶たれ、最澄は密教の学びを完成させる事ができなかったのだ。

そして最澄の没後に、唐に渡った弟子の円仁と円珍によって本格的な密教がもたらされ日本天台宗の密教(台密)が完成したのである。

日蓮にしても創価学会にしても、天台宗の開祖である最澄が全く密教には関わっていなくて法華経一筋であったかのように言っているのだが、

実際は開祖の最澄からすでに天台宗の密教化は始まっていたのである。

また、密教を毛嫌いしていた日蓮だが(日蓮によれば、密教の教義は天台大師智顗の一念三千の法門を盗んで構築したものなのだそうだが)、

実は日蓮自身が密教の影響を受けているのである。

日蓮が顕わした曼陀羅本尊は密教の曼陀羅の模倣であるし、

南無妙法蓮華経の題目も真言(マントラ)の影響に他ならない。

つまり日蓮の思想が密教化しているのである。

日蓮にしても創価学会にしても、自分達が密教から影響を受けているのに、それに気が付かずに密教を批判攻撃するとは滑稽ではある。