学会員の中には「あいつは人の折伏の成果を横取りした」とか
「あいつに聖教新聞啓蒙の成果を取られた」などといって、
学会員同士で折伏や新聞啓蒙の成果を取ったの取られたのと争い、
仲が悪くなっている者もいる。
これなどは創価学会が折伏にしても新聞啓蒙にしても、
全て成果主義で会員に競争させているからである。
その為、会員も成果の奪い合いになってしまうのだ。
これは最早、宗教と呼べるものではなく、
営業成績を営業マンに厳しく問う営利企業と同じだ。
「折伏は慈悲の行であり、人を救う行法である」などと、
いかにも崇高そうな言葉で言っているが、
所詮は信者を増やし、新聞を販売拡張して金儲けする営利企業なのだ。
ただ、それを宗教的な衣を付けてごまかしているだけの話なのだ。
小説『人間革命』に、「折伏等の成果主義に走ったのは、一部の末端幹部の名聞名利を求めた成果主義によるものであった」という箇所があり、
それに続けて、創価学会は成果主義を指導した事は断じてないと書いてあったが、実際は創価学会そのものが信者に成果主義を押しつけているのであり、
成果主義で信者を暴走させているのである。
仏教の原点から創価学会を見れば、
創価学会は宗教ではなく仏教でもなく営利企業だという事がよく判る。