役に立たない幹部指導

創価学会では悩みなどがあったらとにかく幹部から指導を受けろと言われる。

進んで幹部指導を受けると「信心がある」と見なされ、幹部指導を受けないでいると「信心がない」などと貶されたりする。

自分が創価学会にいた頃も、地区幹部から「本部長以上の幹部から指導を受けて信心活動をしろ。大幹部から指導も受けないで信心してると自分の殻に閉じこもってしまって成長できないぞ」などと言われていたものだ。

ところが本部長以上の大幹部に指導を受けても、どんな悩みや相談に対しても

「もっと題目上げろ」とか「もっと折伏しろ」とか

「もっと学会活動しろ」「もっとFを獲れ」とか、そんなワンパターンの決まり文句しか言わない。

釈尊は人が抱えている苦しみに対して、「対機説法」と言われるような

相手の立場や状況に合わせて当意即妙に、様々な比喩を用いて教えを説いたというが、

学会幹部はどんな悩みに対しても結局は「題目上げろ」「学会活動しろ」などと何の役にも立たない決まり文句しか言わないし、言えないのだ。

勿論、題目を唱えたり学会活動して悩みが解決するのなら良いが、

実際にはそんなもので解決はしない。

解決しないから、悩める学会員は結局、本尊や創価学会を頼らずに

人に頼って迷惑をかけたりしているのだ。

そんな学会幹部から役にも立たない指導を受けるくらいなら、

犬や猿に指導を受けた方がまだマシだろう。

 

 

信仰・宗教の目的と役目

学会幹部は学会員が病気にかかったりすると

「信心で治せ!」と指導する。

これは体育会系の連中が病気やケガの者に対して

「根性で治せ!」と言うのによく似ている。

要するに創価学会という団体は、

論理というものがない所なのだ。

健康面の常識をも無視して「寝るな、食べるな、休むな」とか、

「食事は流し込んで、学会活動に走り回れ!」と会員に無茶苦茶な指導をし、

それで体調が悪くなると「お前の信心がなってないからだ!」「信心で治せ!」などと指導と称して罵倒するのだ。

学会幹部は論理的思考のできない連中でしかないという事だ。

病気が信心で治るのなら、医者や薬はいらないのである。

病気を治すのが宗教の役目ではないのだ。

人としての生き方を説くのが本来の宗教の役目のはずであり、

選挙で勝ったり闘争したり出世したり金儲けする事ではないのだ。