創価学会は開かれた宗教なのか

聖教新聞を見ると、創価学会こそ開かれた宗教であると強調し、

古びた迷信信仰や形式信仰・形骸信仰を批判し、

全ての宗教や思想がその思想的立場を超えて連帯し合って

世界平和に向かうべきだと主張していて、

いかにも創価学会こそが古い因習を打ち破り、

迷信信仰と形式・形骸信仰から脱皮した最先端を行く宗教であるかのように書き立てているのだが、

実際には創価学会の内部においては、迷信信仰と形骸信仰そのままの状態であり、

思想的連帯など考えもしないような一宗一派に凝り固まった偏狭な団体でしかない。

人間の手によって印刷した紙曼陀羅本尊に呪文のような言葉を唱えれば救われるとか折伏して信者を増やせば大功徳を得られるなどという旧態依然とした形骸信仰は勿論の事、財務など、創価学会に寄付金を出せば出すほど宿業を消滅する事ができるとか選挙戦で公明党の票を多く獲得すれば人間革命できるとか聖教新聞を販売拡張したり配達すれば福運が増すとか、そのような金集めも選挙の票集めも創価学会に都合の良い迷信信仰に仕立て上げている有り様であるし、

また近頃は、公明党への票欲しさに地域友好だと言って地域の祭りへの参加を黙認したりしているようだが、他宗教に対する謗法思想を捨てた訳ではなく、

今でも日蓮の「四箇格言」を持ち出して「謗法厳戒」とか言っている始末であり、

更には「創価学会の組織から離れると地獄に堕ちる」などと脅し、

脱会した人間には「裏切者」の烙印を押して、

それまでの「同志」から態度を一変させて敵対心を露わにする。

そんな創価学会こそ閉鎖的な閉じられた宗教でしかないのだ。