現代では通用しない創価学会の業思想

創価学会は生まれ変わり(輪廻転生)における業思想を次のように説明している。

人の幸不幸は前世で法華経を信じていたか、

それとも法華経を誹謗してきたかで決まるのだという。

前世で法華経を信じていた者は

現世に生まれ変わってきても法華経に巡り合って幸福になり、

前世で法華経を誹謗したり信じなかった者は謗法の罪の為、

現世で法華経に巡り合えず不幸な人生になってしまうというのだが、

何ともマンガチックな思想である。

この世において法華経を信じてなくても成功の人生を歩み、

幸福な人生を生きてる人はいくらでもいるものだ。

逆に法華経を信じていても不幸な人生の者もいくらでもいるものだ。

法華経を信じてなくても幸福な人がいることについて、

創価学会は「そういう人は、前世で善い事をしてきたからだ」などと苦し紛れの言い訳をしているのだが、

創価学会の理論によると、

法華経を信じなければいくら善業を積んでも福運は積めない為、

幸福になることはできないと主張しているのだから、そんな言い訳は通用するはずもない。

創価学会は法華経が宇宙の根本法則であるかのような前提で主張しているのだが、そもそも、近代の仏教学の研究によって、

法華経は釈尊が説いた教えではなく、

釈尊滅後、少なくとも500年以後に、

当時台頭してきた大乗仏教運動の中で創作された作り話である事が明らかになっているのである。

釈尊が説いてもいない後世の創作物が宇宙の法になどなる訳はなく、

そんな作り話を信じたから幸福になり、信じなかったから不幸になるなどという事などある訳がないのだ。

少なくとも、「最高の正しい仏法」を標榜するのなら、

その根拠として釈尊が説いた教えでなければ「正しい仏法」とは言えないのだ。

もし釈尊が説いてもいない後世の作り話が宇宙の法則だというのなら、

それこそ道理も論理も何もない滅茶苦茶な法則だという事になるだろう。

今どきこんなおとぎ話を主張しても現代では通用しないし何の説得力もない。